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2015年3月

2015-03-21

別れのときがきた。

初めて出逢ったのは、2005年11月28日。

鈴鹿で生まれ、広島にいた彼女は、
フェリーに運ばれて、千葉にやってきました。

あれから、9年と4ヶ月。

とうとう、別れの時がやってきてしまいました。

ただの鉄の塊にこんなに愛情が湧くとは思っていませんでした。

別れることが決まってから、ハンドルを握る度に色々なことを
想い出して、ついつい涙が出てしまいそうになりました。

東京から千葉に行き、約1年。

免許のなかった20代前半からあこがれていた、HR-Vを手にすることが
できました。
僕が惚れ込んだのは、この後ろ姿でした。

1

僕は今でも思っています。
この車は、今売れば売れたのではないかなと。

まだSUVという言葉もなかった時代。
HR-Vはたった5年の販売期間で廃盤となりました。

僕の元にやってきたのは、廃盤から半年経ったころ。
広島の販売店に残っていた、日本で最後の「白」の新車を
無理を言って取り寄せてもらいました。

本当に色々なところを走りました。


千葉での毎日の通勤。
埼玉の文教大学への往復。
中野の自宅。

これだけでも、ゆうに年間25000kmを走っていた
千葉時代。

埼玉に来てからも、袖ケ浦のナンバーをそのままにして、
走り続けてくれました。

もしかすると、埼玉に来てからの方が色々な遠出に
つきあってくれた気がします。

雪の妙高への日帰り
菅平へのスキー
八ヶ岳への山登り
那須の山
仙台への思いつき
千葉の海やはらっぱCamp
ばあさんやじいさんの墓参り
山中湖へのCamp
ぐうたら村へのリフレッシュ
そして、川越への通勤。

ここには書き切れないくらい、色々なところに連れて行って
くれました。

忘れられない想い出がひとつあります。

多分、最も飛ばした記憶です。
2011年1月24日。

保育園にとどいた一本の電話。
祖母が危篤という知らせでした。
「ここはいいから、すぐにいきなさい!!」という
暖かい園長の言葉に甘えて、
涙を流しながら、東北道と首都高を新宿の病院まで
飛ばしたことです。

警察においかけられることも覚悟の上でした。
高速道路上は160kmは出ていたと思います。

長く乗った車だからこそ、その感一度も危ない感覚はなく
まるで、身体と一体になっていたような運転でした。

おかげで、祖母の最期にも立ち会うことができ、
最期はうちひしがれる家族を乗せて自宅に帰りました。


見送りはあっという間でした。
でも、最期の1ヶ月。
こんなにも、愛していたんだなと実感できたことは
僕にとっては大きなことでした。

物欲が大きく、すぐ目新しい物に目が行ってしまいがちな
僕ですが。HR-Vだけは別格でした。

まるで身体の一部を失ったような喪失感でしたが、
この車に一度でも乗ってくれた方々の想い出と共に
一生この日を忘れないでおこうと思って、記しておこうと
思いました。

3

168796km
地球4周分の想い出は、東京を出てからの僕の
10年がそのまま詰まっているのです。

ただただ、ありがとう。

2

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