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2014-03-11

消せないショートメール

今年も3月11日を迎えました。
あれから、3年。

死者行方不明者は、18517人。

北野武さんは、言っていました。
「2万人が亡くなったんじゃない。一人の死が2万件あったのだ」と。

あるラジオの投稿ではこんな話がありました。
「発災をした14時46分に、黙祷をするけれど、亡くなった人の大半は
あの14時46分には生きていたんだ」と。

僕たち関東の人間にとって、その死や喪失感。
そして人ばかりでなく、生まれ育った家、そして街そのものを
奪われた哀しみは想像を絶します。

大切な人を失った仲間もいます。


あの日。

僕は、卒園式を一週間後に控えた16人の年長さんと
おやつを迎えようとしていました。

大きな揺れ。

子どもたちは、机の下に潜りながらも、机ごと2~3m引きずられて
いました。「せんせい!!これ本当!?これホント!?」
という叫び声が今でも忘れられません。

比較的近所で仕事をしている保護者が多かった我が園。
概ね19時くらいまでに、多くの子どもが自宅へと帰っていきました。

しかし、年長さんの一人だけがお迎えのメドが立ちませんでした。
発災直後に電話をくれた母親がいました。
「先生、ごめんなさい。今日出張で渋谷にいるんです。
帰れるか分からない」

お母さんから一本だけあった連絡。

首都圏の交通状況を見ていると、渋谷から帰ってこられない
のは、一目瞭然の状況でした。

21時頃。
園に残っているのは、この子一人だけになってしまいました。
もちろん、母の携帯は不通。
父とも連絡が取れない状況がずっと続いていました。

他の職員を帰し、年長の彼と、近所に住む園長。
そして、担任であり、単身の僕が園に残りました。

いつまで経ってもメドのたたないお迎え。

どうにか方法はないものか。
ふと思いついて、彼の連絡帳を開くと、父の職場の携帯電話が
記載してありました。

電話をしましたが、やはり不通。
しかし、ひとつだけ分かったことがありました。
それはDocomoの携帯だということ。

3年前の発災当時。
携帯各社のショートメールは同じキャリア間のみに限られていました。
「Docomoだ!」 僕はピンと来ました。

自分のDocomoの携帯から、試しにショートメールを送ってみました。

すると、約30分後。
父から返信が。

「今、宇都宮に仕事できています。停電で動けません
動けるようになり次第、会社の車で向かいます」

ようやく、連絡がついたのが、22時過ぎだった覚えがあります。

そして、お父さんが宇都宮からお迎えに来てくれたときは
AM2:00を過ぎていました。

あの日の父の疲労感。
子どもの安堵感。
そして、僕たち保育士の安心感。

お父さんの車を見送った僕は、
保育園の床に、しばらく座り込んでしまったのを
覚えています。

今、起きていることの大きさと恐ろしさ。
どれほどの災害が起きているのか分からない恐怖感。
でも、最後の子どもを無事に保護者に返せた安堵感。

色々な想いが混ざっているのを思い出します。

しばらくしてから、届いた、最後のショートメール。
僕はこのメールをずっとずっと残しておきたいと思っています。

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